
【武蔵の代名詞とも言える二刀流。その出会いが武蔵を最強の侍に!】
兵法や剣術に長け、絵画の才能にも恵まれた武蔵が生まれたのは、天正10年(1582)のことでした。
播磨(現在の兵庫県姫路市)の侍の家に生まれた武蔵でしたが、宮本無二斎という侍の養子になります。
養父である無二斎は、室町幕府の将軍・足利義昭にも認められ、二刀流などを究めた當理流の使い手でした。
武蔵はその養父のもと、剣術の鍛錬に明け暮れました。
武蔵が初めて勝負に勝つことができたのは13歳の時で、相手は新当流の武芸者と言われています。
当時の武蔵は、身の丈六尺(約180センチメートル)の大男と言われていました。
一般的な男性の平均身長は155~158センチメートルだったと言われているので、武蔵の身長は群を抜いていたことになります。
21歳になった武蔵は都(京都)に行き、吉岡家一門との勝負に挑みます。
吉岡家は足利将軍家に師範としてその実力を認められていました。
武蔵はこの勝負に勝った後「兵法鏡」という兵法書を著し、當理流をさらに発展させた「円明流」を創設します。
宮本武蔵と言えば二刀流が有名ですが、「二天一流」とも呼ばれたこの兵法では、必ずしも両手に刀を持って戦うことが良しとされていたわけではありません。
一般的に刀は両手で持って戦いますが、馬に乗っている時などは、片手でしか刀を持つことができません。
そのような時でも、戦いに臨めるよう、両手に刀をそれぞれ持って練習をしていました。
たとえ片手でも戦いに挑める。そのための二刀流だったと言われています。
自身の兵法を確立した武蔵は、29歳まで武者修行として全国をまわり、60以上の勝負に挑みました。
有名な佐々木小次郎との対決は、この一連の勝負の最後の一戦と言われています。
30歳を過ぎた武蔵は、なおも兵法への探求に明け暮れました。
養子である伊織が仕えていた明石藩の客分となり、九州へ移住した後、「五輪書」を書き始めます。
その時武蔵は、すでに60歳を過ぎていたと言われています。
そして正保2年(1645)、「五輪書」を完成させた1週間後、その生涯を閉じました。
【剣豪・佐々木小次郎との決戦!巌流島の戦いの真相とは】
宮本武蔵の名を一躍有名にしたとも言える「巌流島の戦い」。
この勝負は、武者修行として全国をまわっていた武蔵の最後の戦いとなりました。
対するは、こちらも有名な剣豪・佐々木小次郎です。
後に伝わる話では、武蔵が約束の時間に遅れたといわれていますが、これは作り話でした。
決戦の地として無人島(現在の舟島)を選んだ二人は、同時に到着し、勝負に挑んだと伝えられています。
小次郎は三尺余り(約1メートル)の刀を携えていましたが、対する武蔵は木刀を手にしていました。
何故、刀ではなく、木刀だったのでしょう。
それには、小次郎の刀の長さが関係しています。
一般的な刀の長さは二尺五寸(約75センチメートル)ですが、小次郎の刀はそれより長いもので、「物干し竿」と呼ばれるほどでした。
少しでも有利に戦うには、小次郎の刀より長い刀が必要になります。
また武蔵は、戦いの途中で刀が折れてしまうことを嫌い、木刀を使うようになったとも言われています。
そのような理由から、小次郎の刀より長い木刀を作り、決戦に臨んだとされています。
小次郎は「燕返し」という得意の一手がありましたが、武蔵はそれを物ともせず、見事に勝利を収めました。
当時の侍は、強い相手に戦いを挑み、勝利をおさめることで自らの名を上げる必要がありました。
そのため、事前に相手の得意技などを研究していたと言われています。
小次郎に勝つことができたのは、強い相手と命をかけた戦いを行ってきた武蔵ならではと言えるでしょう。
【生涯剣術家としての道を探求し続けた武蔵】
武蔵は36歳のころ、姫路藩の藩主に剣術家として認められ、その領地に住むことを許されました。
当時は剣術を指導することもあったようですが、水墨画を描き始めたのもこの頃だと言われています。
45歳のころになると、養子として迎えた伊織を明石藩に仕えさせ、自分も明石藩の領地にに移りました。
その明石藩が九州の領地へ移る時、伊織と共に武蔵も移住しています。
そして、寛永14年(1637年)に起こった島原の乱には、伊織とともに出陣しました。
50歳になった武蔵は、ようやく剣術家としての道を達成することができたと、後の著書「五輪書」に書いています。
熊本藩の藩主に認められ、その領地に住むことを許された武蔵は、自身の剣術を究めた「二天一流」を、弟子とともに広めました。
そして62歳の頃「五輪書」の執筆にとりかかります。
「五輪書」は、剣術の鍛錬に励み続けた武蔵の、剣術家としての生き様を著し、その道を究めたことを後世の侍に残した兵法書と言えます。
その武蔵は正保2年(1645)、「五輪書」を完成させた一週間後、その生涯を閉じました。