剣のみに生きた伊藤一刀斎は伝説の侍だった!




無敗の侍

一般的に伊豆大島の出身とされている伊藤一刀斎は、格子にすがり泳ぎ着いた三島神社で富田流の富田一放に試合を申し込み、14歳にして勝利を収めました。

まだ14歳だった伊藤一刀斎の勝利を見た神主は、神社に伝わる宝刀を伊藤一刀斎に授けます。

授けられた刀で盗賊7人を斬り、最後の1人が隠れた大瓶ごと真っ二つに斬ったことから、その刀は瓶割刀(かめわりとう)と呼ばれ伊藤一刀斎の愛刀として知られることになります。

その後、伊藤一刀斎は中条流の達人である鐘捲自斎から剣を学び、強さを手に入れた後は諸国を巡り歩き、その生涯で33回の真剣勝負に一度も敗れることはありませんでした。


江戸時代を隆盛した「一刀流」の始祖

師である鐘捲自斎は剣の才を伊藤一刀斎に見出し、自らの極意である「五点」を授けました。

全てを学んだと悟った伊藤一刀斎は、鐘捲自斎の下を発とうとします。

しかし、それを拒む鐘捲自斎は伊藤一刀斎と木刀で立ち会いましたが、一本も打ち込むことができませんでした。

師をも超えた伊藤一刀斎は「五点」の他にも自ら奥義を編み出します。

愛人に欺かれ寝込みを襲われたときにとっさに生まれたという秘太刀「払捨刀」の逸話は有名です。

他にも、鶴岡八幡宮で参籠した際に無意識のうちに敵を斬り、悟りを得たという「夢想剣」などがあります。

伊藤一刀斎が伝えた剣術は、小野派一刀流や忠也派一刀流など様々な流儀に派生し「一刀流」として隆盛を極めることになります。


剣の強さだけを追い求めた謎多き侍

伊藤一刀斎は、出生や没年に諸説があり謎の多い侍です。

出生は1550年や1560年という説、没年は1628年、1632年、1653年という説があります。

敦賀城主である大谷吉継の剣術の師として生き、大谷吉継が関ケ原の戦いで戦死したのち浪人となり、俗世間から逃れ静かに暮らし生涯を終えたという説もあります。

謎の多い生涯ですが一つだけ言えることは、伊藤一刀斎はただひたすら剣のために生き、強さを追い求めた人生だったということ。

戦国時代から江戸時代にかけて、剣の強さこそが正義という時代で生きぬくためには、伊藤一刀斎のように力を求め続ける必要があったのかもしれません。

そんな伊藤一刀斎の生き方は「一刀流」として人々に語り継がれ、後世の剣術に大きな影響を与えることになります。

死んでからもなお、剣の道に名前を刻み続けた伊藤一刀斎こそ、伝説の侍だったのではないでしょうか。