女城主にして女侍!立花誾千代とはどんな人物なのか?




1、立花誾千代とはどのような人物なのか

・生い立ち

1569年、立花道雪(大友宗麟の重臣)の一人娘として生まれます。武芸に優れ聡明で気遣いもできるうえ、西国一の美姫と呼ばれるほどの美貌の持ち主だった誾千代は、わずか7歳にして父親から家督(立花城の城督)を譲られます。立花城は現在の福岡県福岡市。戦国時代でもかなり稀である、女性当主となったのでした。


・結婚

13歳の誾千代は、大友家家臣・高橋紹運の息子である弥七郎統虎を婿に迎えます。弥七郎統虎は立花宗茂と名をあらため、立派な侍へと成長。その後大友家は弱体化し、立花家は豊臣政権の大名となったのでした。そして立花宗茂は柳川城の城主に。


・加藤清正と戦う

薙刀や鉄砲の腕前に優れた誾千代は侍さながら。関ヶ原の戦いでは甲冑を着て出陣し、攻め寄せてくる東軍を威嚇し、次々と薙ぎ倒して行きました。

その上彼女は、かの名将・加藤清正とも対峙するのです。現代にもさまざまなエピソードが残り、大層恐れられていた加藤清正ですら、誾千代の様子を見て迂回したほど。結果的に柳川城は加藤清正に渡され敗北となったのですが、彼女がどれだけ強かったのかが伺えます。


2、どんな最期を迎えたのか


柳川城を明け渡した立花宗茂。しかし肥後(現在の熊本)の農家にて隠居していた誾千代は神社にて、「自分の命に変えてでも、夫を世に送り出してほしい」と願い続けていたのです。そしてそれから2年後、誾千代は亡くなりました。享年34という若さでしたが、侍として、女城主として、その命を全うしたのです。


そして、誾千代の祈りの甲斐あってか、宗茂は家康に求められ旗本に取り立てられます。そして陸奥棚倉藩1万国の大名に復帰するのです。

さらに転機となったのは大坂夏の陣。徳川秀忠を警護していた宗茂は、のちに旧領柳川藩主へと復帰しました。

1度は関ヶ原の戦いに負け、旧領大名への復活は絶望的でした。しかし誾千代は彼を信じこの世を去ったのです。