212勝の無敗伝説
塚原卜伝は延徳元年、常陸国鹿島に生まれました。
実の父からは鹿島古流、義理の父からは天真正伝香取神道流を学びます。
そして16歳で、修行の旅に出ています。
修行の旅では、真剣の試合は19回、戦場には37度、木刀の試合は数百にのぼる激戦をくぐり抜けてきました。
その数多の戦いでは一度も不覚を取らず、矢の傷を6ヶ所受けただけで、敵の剣には一度も当たっていません。
試合、戦ともに討ち取った敵は212人ともいわれる最強の剣豪です。
その後も、2度の修行の旅をして剣の道を極め続け、元亀2年、83歳でこの世を去りました。
剣の教え手としても名を馳せた剣聖
1度目の修行の旅は戦乱の世での修行だったため、多くの人の死を目の当たりにした卜伝はひどく心を病み、故郷の鹿島へ帰ったといいます。
その姿を見て、剣の師でもあった実父と義父は、鹿島城の家老だった松本備前守政信に卜伝を預け、千日間にわたり鹿島神宮に参籠します。
神に見守られながら剣を振り続け、悟りを開いた卜伝は鹿島新當流を興し「卜部の伝説の剣を伝える者」として自らを卜伝と名乗ることにしました。
その後、卜伝は2度目の修行の旅へ出ます。
旅で訪れた先では人々に鹿島新當流の剣を教え、旅から戻った卜伝は塚原城の城主となり妻を娶ります。
城を守り、弟子の育成に力を注ぐ日々でしたが、やがて妻が亡くなると養子の養子彦四郎幹重に城主の座を譲り、再び修行の旅へ出ました。
70歳近い卜伝は、足利義輝と北畠具教に鹿島新當流の奥義である「一の太刀」を伝授したとされています。
最強の侍の最期は平和を願う
永禄9年、3度目の修行の旅を終えた卜伝は、鹿島の塚原へ帰ります。
その5年後、卜伝は83年の生涯に幕を閉じます。
卜伝は、戦国の世を30年以上も修行で巡り、人々に剣を教え続けました。
卜伝の教えた奥義「一の太刀」は人の和を表す剣技だったともいわれています。
若かりし頃、狂乱の戦国を生き、多くの死に触れた最強の侍は、平和への願いを剣に乗せ「一の太刀」として継承したかったのかもしれません。
最強ゆえに平和を願う塚原卜伝の思いは、卜伝亡き後も鹿島新當流の剣技として人々に教え継がれていきました。
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