織田信長の妹!お市の方の壮絶すぎる生涯とは?




概要:

・戦国1の美女「お市の方」

織田信長の妹として生まれた「お市の方」。戦国一の美女とも囁かれていますが、謎多き人物でもあります。

生年は定かではありませんが通説によると1547年。父は織田信秀で、母は土田御前です。


・浅井長政と結婚、出産

浅井長政と結婚したお市の方は、のちに浅井三姉妹と呼ばれる「茶々」「初」「江」を出産します。


・姉川の戦い

友好関係を結んでいた織田家と浅井家でしたが、1570年、織田軍が越前の朝倉へ攻め込みます。朝倉と同盟関係にあった浅井は激怒し、信長を裏切ります。


・清州会議

本能寺の変にて死亡した織田信長の後継を決めるための清洲会議。これにてお市の方は、豊臣秀吉の計らいにより柴田勝家と再婚することになります。


・賤ヶ岳の戦い

秀吉と勝家がぶつかった賤ヶ岳の戦い。ここで勝家は徹底的に追い込まれますが、お市の方だけは逃がそうとします。しかしお市は逃げず、勝家との自害を選び一生を終えました。


本文2 主要な歴史イベント


・浅井三姉妹を出産 

「茶々」「初」「江」でお馴染み浅井三姉妹の母親であるお市の方。夫婦仲の良かった浅野長政とお市の方は、結婚後1年おきに娘を出産しています。

ちなみに茶々はのちに豊臣秀吉の側室へ、初は京極高次の妻へ、江は徳川秀忠の妻となります。


・姉川の戦い

織田軍が突如、浅井と同盟関係にあった浅倉へ攻め込んだことにより、浅井が挙兵。絶体絶命に陥った信長でしたがなんとか逃げ出します。さらに姉川の戦いが勃発し、浅井長政は命を落としてしまいました。


本文3 どのように生涯を終えたか(死に様)


・賤ヶ岳の戦い

賤ヶ岳の戦いにて秀吉に徹底的に追い詰められた柴田勝家。北ノ庄城へ帰った時、お市の方には逃げるように進めていたのです。お市はまだ若く将来があり、子供たちを残して死んではならないという勝家なりの思いがありました。


・お市の方が選んだ決断とは

しかしお市の方が選んだ決断は、勝家との自害でした。これについてはお市の方が2度も逃げたくないと思ったというものと、秀吉のことが嫌いだったからという説もあります。


・辞世の句

「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」、これはお市の方の辞世の句です。ちなみに勝家の辞世の句は「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」。どちらも「ほととぎす」が入っています。